パグが喋る。
しかも、強い。
かなり強い。
それだけでも十分おかしいのに、『INNU -イッヌ-』はその異常な設定を「かわいい犬が活躍するギャグ」で済ませません。
東京・浅草の隅田川河川敷に捨てられていた一匹のパグを、女子高生のサリーちゃんが拾う。彼女が名付けたその犬・イッヌは人語を話し、裏社会の危険人物にも平然と立ち向かえるほどの戦闘力を持っていました。
ところが、サリーちゃんと交わした約束は「普通の犬として暮らすこと」。
ここに、この漫画のおもしろさがほとんど全部詰まっています。
どう考えても普通ではない存在が、普通であろうとする。そのすぐ横では、ヤクザの娘であるサリーちゃんを狙って普通ではない事件が次々と起こる。そしてイッヌは、犬としての日常を守るために、まったく犬らしくない方法で問題を片づけていきます。
しかも作品側が、いちいち「犬なのにこんなことしてる!」と大げさにツッコんでくれるわけではありません。
イッヌ本人はかなり真剣です。
だからこそ笑える。
今回は、『INNU -イッヌ-』の表面的な「動物」「ヤクザ」「アクション」だけではなく、荒唐無稽な設定を本気で描くこと、圧倒的に強い存在がささやかな日常を守ろうとすること、物騒な世界の中に妙な人情が生まれることまで含めて、相性のいい漫画を5作品選びました。
『INNU -イッヌ-』の魅力とは?
『INNU -イッヌ-』の笑いは、「ギャグを言うキャラクター」から生まれるというより、世界の組み合わせそのものから生まれています。
パグとハードボイルド。
女子高生とヤクザ。
ペットとの平和な生活と、常識外れのバトル。
一つずつなら漫画では珍しくない要素を、普通なら並べない距離で衝突させています。
特に重要なのが、イッヌの格好良さを作品が茶化しすぎないことです。
犬だから面白いのに、戦うときのイッヌ本人はちゃんと格好いい。危険が迫ればサリーちゃんを守り、圧倒的な力で状況をひっくり返す。ハードボイルド作品の主人公がやれば普通に決まる場面を、パグがそのままやっています。
読者は「いや犬だろ」と思いながら笑う一方で、数ページ後には普通にイッヌの活躍へ興奮している。
この二重構造が強いのです。
そして、サリーちゃんとの関係も作品の芯になっています。
イッヌにとってサリーちゃんは単なる飼い主ではありません。自分を拾ってくれた相手であり、彼女との約束が「普通の犬として生きる」という物語上のルールになります。
つまりイッヌが強敵を倒すことより、その力を使ったあとにまた日常へ戻ることのほうが重要です。
世界最強になりたいわけではない。
天下を取りたいわけでもない。
守りたい相手がいて、その人の隣で普通に暮らしたい。
その小さな目的に対して、起きる事件の規模だけが異常に大きくなっていく。
このアンバランスさが、『INNU -イッヌ-』を単なるバトル漫画とも、動物漫画とも違うものにしています。
さらに物語が広がると、奇妙な人物や動物まで次々に現れます。それでも「もう何でもありだから」で雑になるのではなく、新しい変人が現れるたびに、イッヌの妙な格好良さとサリーちゃんの日常がさらに際立っていきます。
荒唐無稽なのに、中心にある関係は意外と真っすぐ。
この漫画を読んだあとの感覚は、「すごいものを見た」というより「何を見せられたんだ」と笑いながら、それでも次のイッヌの活躍をちゃんと見たくなっている、という不思議なものです。
おすすめの作品を詳しく紹介
1.『ザ・ファブル』
『INNU -イッヌ-』の「圧倒的に強い存在が、普通に暮らそうとする」という部分が好きなら、南勝久の『ザ・ファブル』はまず外せません。
主人公は、裏社会で“ファブル”と恐れられる殺しの天才。
しかしボスから与えられた命令は、しばらく一般人として暮らし、その間は誰も殺してはいけないというものです。
ここで『INNU -イッヌ-』との共通点がはっきりします。
イッヌもまた、本来の能力を考えれば「普通の犬」として暮らすこと自体が無茶です。
強すぎる者にとって、普通に生きるほうが難しい。
この逆転がおもしろいのです。
『ザ・ファブル』では、主人公が食事をしたり仕事をしたり、人間関係を築いたりする何でもない日常と、その裏にある異常な身体能力が並行して描かれます。
そして、いざ危険が起きたときには、それまでの脱力した空気が一瞬で変わる。
本気を出せば圧倒的に強い人物が、できるだけ本気を出さずに問題を解決しようとするため、普通のバトル漫画とは違う緊張感があります。
さらに共通するのが、シリアスと笑いの境界です。
登場人物たちはかなり真剣なのに、読者から見ると妙に可笑しい。本人がボケているつもりではないからこそ、笑いが強くなります。
『INNU -イッヌ-』で、イッヌのハードボイルドな振る舞いを「格好いい」と「面白い」の両方で楽しんでいる人なら、かなり相性のいい一作です。

2.『ニワトリ・ファイター』
動物が、人間以上に格好いい顔をして巨大な敵と戦う。
この時点で『INNU -イッヌ-』好きならかなり気になるはずなのが、桜谷シュウの『ニワトリ・ファイター』です。
主人公・ケイジはニワトリ。
しかし単なるマスコットではなく、人々を襲う巨大な怪物・鬼獣へ立ち向かう歴戦のファイターです。
妹を鬼獣に奪われた過去を背負い、各地を旅しながら戦う姿はかなり王道のヒーロー漫画。それを一羽のニワトリがやっています。
この作品も、『INNU -イッヌ-』と同じく「動物だから全部ギャグ」という逃げ方をしません。
ケイジの戦いにはちゃんと熱さがある。
仲間との出会いがあり、失ったものへの思いがあり、強敵との戦闘にはヒーロー漫画としてのカタルシスがあります。
だから読んでいるうちに、「ニワトリが戦っている」という最初の違和感が薄れてきます。
そして、その瞬間こそがおもしろい。
読者が世界観へ完全に入り込んだところで、ふと画面を見るとやっぱりニワトリなのです。
イッヌが渋い顔で敵を圧倒する場面に妙な感動を覚えてしまう人なら、ケイジの生き様にもかなり近い快感があります。
『INNU -イッヌ-』よりヒーローものの熱量は強めですが、「動物という見た目と本気の格好良さの落差」を最も濃く味わえる一作です。
3.『ヒナまつり』
大武政夫の『ヒナまつり』は、若手ヤクザの新田の部屋へ、強力な念動力を使う少女・ヒナが突然現れるところから始まります。
ヤクザと少女。
常識外れの能力。
危険な設定。
それなのに、物語の中心で描かれるのは妙に生活感のある共同生活です。
ここが『INNU -イッヌ-』とよく似ています。
新田はヒナの力に振り回され、ヒナは新田の生活へ遠慮なく入り込んでくる。普通ならサスペンスや能力バトルへ向かいそうな設定なのに、二人が何を食べるか、学校でどう過ごすか、家でどう暮らすかといった日常のほうがだんだん大事になっていきます。
しかも笑い方が独特です。
誰かが派手にツッコむというより、登場人物が異常な状況を思った以上に普通に受け入れてしまうことで笑いが生まれます。
そして物語が進むほど、最初は単なる「ヤクザと超能力少女」だった二人が、かなり家族に近い存在になっていく。
『INNU -イッヌ-』でも、イッヌとサリーちゃんの魅力は能力や立場そのものより、二人が一緒にいることがいつの間にか当たり前になっているところにあります。
荒唐無稽な設定の奥に、意外なほど温かい人間関係がある。
そこまで含めて好きなら、『ヒナまつり』は非常におすすめです。
4.『SAKAMOTO DAYS』
鈴木祐斗の『SAKAMOTO DAYS』は、かつて伝説の殺し屋として恐れられた坂本太郎が、結婚をきっかけに引退し、町の商店を営みながら家族との平和な生活を守る物語です。
『INNU -イッヌ-』とつながるのは、単に主人公が強いからではありません。
「強さの目的が、日常を壊すことではなく守ること」だからです。
坂本は以前の世界へ戻りたいわけではありません。
妻と娘がいて、店があり、現在の生活を守りたい。
ところが裏社会のほうが坂本を放っておいてくれない。
そのため、平和に暮らしたい人間ほど激しい戦いへ巻き込まれるという矛盾が生まれます。
イッヌも同じです。
サリーちゃんと「普通の犬」として暮らすなら、本来は昼寝をしたり散歩したりしていればいい。しかしサリーちゃんの周囲には危険が集まり、そのたびに普通ではない能力を使わざるを得ません。
また『SAKAMOTO DAYS』は、圧倒的な戦闘力をギャグだけにせず、アクションそのものをしっかり見せる作品です。
日用品や街の風景さえ戦闘の道具になり、日常とバトルの境目が消えていく。
『INNU -イッヌ-』で「笑っていたのに突然アクションとして普通に格好いい」という切り替えが好きな人には、この作品の勢いもかなり刺さると思います。

5.『極主夫道』
最後は、おおのこうすけの『極主夫道』です。
主人公・龍は、かつて“不死身の龍”と恐れられた元ヤクザ。
しかし現在、彼が本気で取り組んでいるのは主夫業です。
スーパーの特売へ向かう。
料理をする。
掃除をする。
町内会の活動へ参加する。
やっていることは徹底して日常的なのに、顔つき、言葉遣い、立ち振る舞いだけは完全に極道のままです。
『INNU -イッヌ-』好きへすすめたい理由は、この「ギャップを最後まで崩さない」笑いにあります。
普通なら、かわいいパグにはかわいい仕草をさせる。
普通なら、凶悪な元ヤクザには凶悪なことをさせる。
しかし両作品は、その期待を正反対にひっくり返します。
イッヌはかわいい姿でハードボイルドに振る舞い、龍は極道そのものの顔で丁寧に家事をこなします。
しかも本人たちは大真面目です。
だから「見た目と行動のギャップ」という簡単な一発ネタが、何度読んでも成立します。
『極主夫道』には『INNU -イッヌ-』ほど大規模なバトルはありませんが、裏社会の言語や演出を日常へ持ち込むセンスはかなり近いものがあります。
イッヌが何かするだけで妙に渋く見えてしまう、その感覚そのものが好きな人におすすめしたい一冊です。
まとめ
『INNU -イッヌ-』は、説明だけ聞けばかなり無茶な漫画です。
喋るパグ。
最強。
ヤクザの娘。
裏社会。
そして普通の犬として暮らす。
要素だけを並べると、全部が別の作品から集まってきたように見えます。
ところが実際に読むと、そのバラバラさこそが魅力になっています。
サリーちゃんがイッヌに求めたのは、世界を救うことでも、最強であり続けることでもありません。
一緒に普通に暮らすことです。
だから敵がどれだけ強くなっても、事件がどれだけ大きくなっても、物語の中心には「また日常へ帰れるか」という小さな目的があります。
今回紹介した『ザ・ファブル』には強すぎる者が普通に生きる難しさ、『ニワトリ・ファイター』には動物と本気のハードボイルドの融合、『ヒナまつり』にはアウトローと常識外れの存在から生まれる奇妙な家族性、『SAKAMOTO DAYS』には圧倒的な力で日常を守るアクション、『極主夫道』には物騒な様式を日常へ持ち込むギャップがあります。
どれも『INNU -イッヌ-』と同じ漫画ではありません。
むしろ、それぞれ別の方向から『INNU -イッヌ-』のおもしろさを分解したような作品です。
イッヌを見て「かわいい」と思うより先に「こいつ格好いいな」と感じてしまった人。
そして、その直後に「いや、やっぱりパグじゃん」と我に返る時間まで含めて好きな人なら、今回の5作品はかなり楽しめると思います。

