超能力を手に入れた。
普通の漫画なら、ここから世界の命運を懸けた戦いが始まりそうです。
でも『ミナミザスーパーエボリューション』で本当に取り戻したいものは、もっと小さい。
高校生活です。
高校3年生のミナミは、ある日突然、常識では説明できない力を使えるようになります。中学でも高校でも、自分が思い描いていたような「デビュー」はできなかった。決定的に悪い毎日だったわけではないけれど、振り返れば何となく時間だけが過ぎてきた。
しかも、もう3年生です。
残された学校生活は長くありません。
そこで現れた超能力が、「こんなことができるなら、今までと違う毎日にできるかもしれない」という妙な勢いをミナミへ与えます。
この漫画のおもしろさは、能力そのものよりも、その力を手にしたミナミが急に人生の主役になろうとし始めるところにあります。
普通だった昨日を否定するのではなく、でも「このまま普通に卒業するだけなのもつまらない」と思う。
友達を巻き込む。
変なことを始める。
思ったほど格好よく決まらない。
それでも、何もしなかった頃より今日のほうが少し記憶に残る。
『ミナミザスーパーエボリューション』の青春は、最初から輝いている青春ではありません。
後から自分で色を足していく青春です。
今回は、この感覚に近い漫画を5作品選びました。超能力が登場することだけではなく、普通であることへの焦り、自分から何かを始めるぎこちなさ、友達との距離が少しずつ変わる時間、そして「特別な出来事が起きたから青春になるのではなく、自分がそこへ参加したとき青春になる」という部分まで掘り下げて紹介します。
『ミナミザスーパーエボリューション』の魅力とは?
この作品では、超能力がミナミを別人に変えてくれるわけではありません。
ここがかなり重要です。
力を得た瞬間に自信満々の主人公になるわけでも、急に学校中の人気者になるわけでもない。
ミナミはミナミのままです。
ちょっと格好をつけたい。
おもしろいことをしたい。
でも実際に動くと少しズレる。
その不格好さが残ったままだから、超能力が青春の万能アイテムではなく、「今までやらなかったことをやってみるための口実」に見えてきます。
本当は、人生を変えるのに超能力なんて必要ありません。
友達に声をかける。
どこかへ行く。
思いついたことを実際に試す。
それだけでも昨日とは違う日になります。
ただ、それが一番難しい。
ミナミの場合、偶然手に入った異常な力が背中を押してくれただけなのです。
だから本作には、超能力ものなのに妙に現実的な部分があります。
「何かすごいきっかけさえあれば、自分も変われるのに」と考えたことがある人なら、ミナミの気持ちには少し身に覚えがあるはずです。
そして、作品を青春漫画として強くしているのが「残り時間」です。
高校3年生。
あとから考えれば一年は長く見えるかもしれません。
でも、その中には最後の夏休みがあり、最後の学校行事があり、進路を考える時間があります。
何となく続いていた高校生活に、突然「これが最後」と付け加えられる。
第2巻で示される「最後の1年」という意識が効いているのは、ミナミたちが青春を楽しもうとする理由に、楽観だけではなく焦りが混ざるからです。
今まで何もなかったとしても、残り全部まで何もないまま終わらせる必要はない。
この感覚が、本作を懐古的な青春漫画ではなく「まだ間に合う青春漫画」にしています。
友人関係の描き方もおもしろいところです。
ミナミの過去を知るナカムラのように、能力が生まれる前から彼女を知っている人物がいることで、「超能力者ミナミ」と「普通の高校生ミナミ」が切り離されません。
突然特別な力を得ても、昨日まで一緒にいた友達との会話は続く。
むしろ、ミナミが変なことを始めたことで、それまで固定されていた関係のほうが少しずつ変わっていきます。
さらに物語が進むと、チャーリー先生のような別の超能力者まで現れ、力そのものの謎は大きくなっていきます。
それでも魅力の中心にあるのは、「世界に何が起きているのか」だけではありません。
その大きな謎の横で、ミナミたちは今しかない高校生活を送っています。
壮大になりそうな物語と、くだらない青春が同じ画面にある。
このサイズ感のアンバランスさこそ、『ミナミザスーパーエボリューション』ならではの味です。
読み終えたあとには、超能力が欲しくなるというより、「自分も今日くらい、いつもと違うことをしてみてもいいか」と少しだけ思えてきます。
おすすめの作品を詳しく紹介
1.『モブサイコ100』
『ミナミザスーパーエボリューション』の「超能力があることと、青春がうまくいくことは別」という部分が好きなら、最初に読んでほしいのがONEの『モブサイコ100』です。
主人公・影山茂夫、通称モブは、非常に強力な超能力を持っています。
しかし本人が欲しいものは、超能力者としての名声ではありません。
好きな相手から魅力的な人間だと思われたい。
自分自身を成長させたい。
友達とうまく関わりたい。
つまり、能力では直接手に入れられないものばかりです。
ここがミナミとの大きな接点です。
ミナミは超能力を手にしたことで「普通じゃない自分」へ近づいたように感じます。
一方、モブは圧倒的な能力を持っているのに、それだけでは自分が欲しい人間にはなれないことを知っています。
方向は逆ですが、両作品とも超能力を「人生を全部解決する答え」にしません。
能力より大事なのは、本人がどう生きるかです。
また『モブサイコ100』では、超能力バトルがかなり派手になっても、物語の中心にはモブの思春期があります。
筋肉をつけるために努力することや、人間関係で悩むことのほうが、超能力で巨大なものを動かすより本人にとって重要だったりする。
その価値観が、とても気持ちいい。
特別な能力を持っている人間が、「特別であること」以外の場所に自分の価値を探していくからです。
『ミナミザスーパーエボリューション』で能力の謎よりミナミ本人の青春を見ていたい人には、かなり相性のいい作品です。
最後には、超能力を持っていることより、弱さも格好悪さも含めて自分を引き受けられることのほうが、ずっと大きな成長に見えてきます。
2.『ふつうの軽音部』
クワハリ原作・出内テツオ漫画の『ふつうの軽音部』には、超能力はありません。
それでも『ミナミザスーパーエボリューション』好きに強くすすめたいのは、「普通の高校生活を、本人たちが必死に特別なものへ変えていく」という感覚が非常に近いからです。
主人公・鳩野ちひろは、邦ロックが好きな高校1年生。
憧れのギターを買って軽音部へ入るものの、最初から天才的に演奏できるわけではありません。
バンドを組めばうまくいかない。
友達と衝突する。
練習してもすぐ結果は出ない。
思い描いていた「バンド青春」と、現実の高校生活にはかなり距離があります。
ここがミナミに似ています。
高校へ入れば自然に青春できるわけではない。
軽音部へ入れば勝手にドラマが始まるわけでもない。
超能力を手に入れたからミナミの人生が自動的に楽しくなるわけではないのと同じです。
結局、自分から人に関わらなければ何も始まりません。
そして『ふつうの軽音部』では、本人にとっては黒歴史になりそうな失敗も、後から見ると青春の重要な一部になっていきます。
恥をかく。
思ったように演奏できない。
誰かに憧れる。
嫉妬する。
それでもまたステージへ立つ。
その積み重ねによって、「ふつう」だった高校生の毎日にどんどん固有の物語ができていきます。
ミナミが超能力を無駄遣いしながら日々を色づけていく感覚が好きなら、鳩野たちが不器用に音楽へ突っ込んでいく姿にも似た愛おしさを感じると思います。
読後には、「青春って成功した出来事のことではなく、必死だった時間そのものなのかもしれない」と思わせてくれる作品です。

3.『放課後ひみつクラブ』
福島鉄平の『放課後ひみつクラブ』は、私立ユーカリの葉学園へ入学した猫田悠一と、学園に隠された秘密を追う蟻ケ崎千歳の二人を描く学園コメディです。
一見すると『ミナミザスーパーエボリューション』とはかなり違います。
でも共通しているのは、「同じ学校でも、見方を変えれば急におもしろい場所になる」というところです。
学校という場所は、毎日通っていると景色になっていきます。
教室。
校庭。
部活。
購買。
昨日と同じような場所を今日も通る。
ところが蟻ケ崎は、そこにいちいち「秘密」を見つけます。
校章の由来でも、校歌の妙な一節でも、学園の七不思議でも、本人が本気で追いかければ事件になる。
つまり、世界の側が急に変わったのではありません。
見る人が変わることで、普通の毎日が冒険になります。
ミナミの場合、それを始めるきっかけが超能力です。
能力があるから昨日まで見過ごしていたものに踏み込める。
蟻ケ崎の場合は、「何かおもしろい秘密があるはず」と信じる視線そのものが能力のように働きます。
そして、どちらにも相棒の存在が重要です。
一人で変なことをやっているだけなら、奇人で終わるかもしれない。
でも横に一人付き合ってくれる人がいると、それが思い出になります。
猫田と蟻ケ崎の絶妙に噛み合っているようで噛み合っていない関係は、ミナミが周囲を巻き込みながら青春を作っていく姿が好きな人にはかなり楽しいはずです。
「学校生活って、本人が遊び始めればまだこんなに変なことができるんだ」と思わせてくれる一作です。
4.『君と宇宙を歩くために』
泥ノ田犬彦の『君と宇宙を歩くために』は、勉強もバイトも長続きしない小林と、転校してきた宇野の友情を描く作品です。
この作品を選んだ理由は、『ミナミザスーパーエボリューション』の「普通」という言葉が気になった人に読んでほしいからです。
ミナミは、「普通じゃつまらない」と感じています。
一方の『君と宇宙を歩くために』では、みんなが普通にできていることができない苦しさを抱える人物たちがいます。
この二つを並べると、「普通」という言葉が急に複雑になります。
普通であることが退屈な人もいる。
普通になれないことで傷つく人もいる。
では本当に大事なのは何なのか。
『君と宇宙を歩くために』が出す答えは、無理に他人と同じになることではありません。
宇野は、自分が苦手なことへ対してさまざまな工夫をしています。
そして小林は、その姿を知ることで、自分自身の「どうせ無理」にも向き合い始めます。
二人は、互いを劇的に救うヒーローではありません。
相手がやっている方法を見て、「じゃあ自分も少しやってみよう」と動く。
この連鎖がすごくいい。
ミナミも、超能力そのものより、それをきっかけに周囲との関係が変わっていくところがおもしろい作品です。
一人の変化が、隣にいる人まで少し変える。
そしてその人の変化が、また自分に返ってくる。
『君と宇宙を歩くために』では、その循環を超能力なしで丁寧に描いています。
派手な出来事より、「前ならできなかったことが今日は少しできた」という小さな進化に胸が熱くなる人なら、かなりおすすめです。

5.『スキップとローファー』
高松美咲の『スキップとローファー』は、地方から東京の高校へ進学した岩倉美津未を中心に、クラスメイトたちの関係が少しずつ変わっていくスクールライフ漫画です。
美津未自身は、ミナミとはかなりタイプが違います。
ミナミが「普通じゃつまらない」と何かを起こそうとする人物なら、美津未は本人が意図していないところで周囲へ変化を起こしていきます。
でも両作品には、「一人の人間が動くと、クラスの景色まで変わる」という共通点があります。
学校では、最初にできた人間関係がそのまま固定されがちです。
仲のいいグループ。
話したことがない人。
何となく苦手な人。
一度ついた印象。
そのまま卒業まで行くこともできます。
ところが『スキップとローファー』では、美津未が素直に人へ関わることで、それまで接点がなかった人たちがつながっていきます。
一人ひとりの事情が見えるようになると、「クラスメイトA」だった人物が急に固有の人間になる。
これは『ミナミザスーパーエボリューション』で、ミナミが動き始めたことによって周囲との関係が変化していく感覚にも近いです。
青春漫画のおもしろさは、主人公が大事件を起こすことだけではありません。
昨日まで話さなかった人と話す。
友達の知らなかった一面を見る。
自分が他人からどう見えていたか気づく。
そうした小さな変化も、学生時代には大事件です。
『スキップとローファー』は、その小ささを大切にします。
だから『ミナミザスーパーエボリューション』の能力バトルや謎より、「最後の高校生活をこの人たちと過ごしている」という部分が好きな人には特に合います。
読み終えたあと、何でもない学校帰りや昼休みまで、少しだけ取り戻したくなる作品です。

まとめ
『ミナミザスーパーエボリューション』では、超能力というとんでもないものが発生します。
でも、その力が照らしているのは意外なほど普通の高校生活です。
友達。
放課後。
夏休み。
最後の一年。
「もっと何かできた気がする」という気持ち。
そこへ超能力が一つ落ちてきたことで、ミナミは自分の毎日をもう一度やり直すように動き始めます。
だからこの作品の「エボリューション」は、能力が進化することだけを指しているようには見えません。
自分から人に関わること。
思いついたことを実行すること。
失敗しても次の日また学校へ行くこと。
そんな小さな変化も、ミナミにとっては十分な進化です。
今回紹介した『モブサイコ100』には能力では測れない人間の成長、『ふつうの軽音部』には普通の高校生が自分で青春を作る泥臭さ、『放課後ひみつクラブ』には見慣れた学校を遊び場へ変える視点、『君と宇宙を歩くために』には「普通」に縛られず自分なりの方法で前へ進む友情、『スキップとローファー』には一人の変化が周囲へ波紋のように広がる学校生活があります。
どれも、突然超能力を手に入れる漫画ではありません。
でも五作品とも、「昨日と同じ今日」をそのまま受け入れず、少しだけ違う明日へ変えていく人物たちを描いています。
『ミナミザスーパーエボリューション』を読んで、能力そのものより「今からでも青春って始め直せるんだな」という気分が残った人なら、今回の5作品にもかなり相性がいいと思います。
普通であることは、たぶん悪くない。
でも、普通の毎日に自分から余計なことを一つ足すと、それがあとで忘れられない一日になることがあります。
『ミナミザスーパーエボリューション』の気持ちよさは、その瞬間を何度も見せてくれるところにあるのだと思います。
