クジャクのオスは、なぜ生存には邪魔そうなほど大きく派手な羽を持つのか。
そんな生物学の話から、そのまま人間の「モテる・モテない」へ飛んでいく。『あくまでクジャクの話です。』のおもしろさは、この強引に見える接続を、笑い話だけで終わらせないところにあります。
“男らしくない”ことを理由に恋人から振られた高校教師・久慈弥九朗。その久慈の前に現れるのが、モデルやインフルエンサーとしても活躍し、文武両道でありながら、生物の話になると容赦なく身も蓋もない結論を突きつけてくる生物学部部長・阿加埜です。
阿加埜が持ち出すのは、求愛、性淘汰、繁殖戦略、集団行動といった生物の世界の理屈。しかし、人間は生物であると同時に、文化や倫理や個人的な記憶を持つ存在でもあります。
「生物学的にはこう説明できる」と言われても、それだけでは好きになった理由も、失恋の痛みも、誰かを特別扱いしてしまう気持ちも全部は説明できない。
この“説明できる部分”と“説明しきれない部分”の境目に、『あくまでクジャクの話です。』独特のラブコメのおもしろさがあります。
今回は、単に理系キャラクターが出る漫画を集めるのではなく、知識で人間を説明しようとするおもしろさ、理屈と感情のズレ、生まれ持った性質と本人の意思、そして頭がいい人ほど自分自身の恋には振り回されるという部分まで含めて、相性のいい5作品を選びました。
『あくまでクジャクの話です。』の魅力とは?
この漫画で生物学は、単なる雑学コーナーではありません。
むしろ、人間が普段「性格」「恋愛観」「男らしさ」「女らしさ」「モテ」といった曖昧な言葉で処理しているものを、一度まったく違う角度から眺め直すための道具になっています。
たとえば、「今の社会では男女を固定的な役割へ押し込めるべきではない」という価値観と、「生物として長い時間をかけて形成されてきた傾向」は、必ずしもきれいに一致しません。
そこで作品は、「だから昔ながらの男女観が正しい」と単純化するわけでも、「生物学なんて現代社会には関係ない」と切り捨てるわけでもない。
生物としての傾向があるとして、それを知った人間がどう振る舞うのか。そこから先には本人の選択があります。
この一段階があるから、題材はかなり際どいのに、単なる恋愛ハウツー漫画にはなりません。
そして何よりおもしろいのが、他人については驚くほど冷静に分析できる人間ほど、自分自身の感情になると途端にうまくいかなくなることです。
阿加埜は、人間の行動を生物学的なロジックへ置き換えて語ることができます。しかし恋愛とは、観察対象のクジャクを眺めるのとは違います。自分自身が当事者になった瞬間、嫉妬も期待も焦りも発生する。
知識が役に立たないのではありません。
知識だけでは足りないのです。
この違いが重要で、生物学を学ぶほど人間のことが全部分かるのではなく、「人間は思った以上に生物であり、それでも思った以上に生物だけでは説明できない」と見えてきます。
さらに久慈が教師で阿加埜が生徒という関係も、二人の距離へ独特の緊張感を作っています。
気持ちだけなら一直線に進めそうな場面にも、立場や倫理があります。生物学的な欲求と、社会の中で人間が作ってきたルール。その二つが同じ物語の中に存在すること自体が、本作のテーマときれいに重なっています。
読後に残るのは「へえ、生物っておもしろい」という知的好奇心だけではありません。
知れば知るほど、「じゃあ自分が誰かを好きになることは、いったいどこまで自分の意思なんだろう」と考えたくなる。
くだらない会話で笑っていたはずなのに、気づけば自分自身まで観察対象になっている。それが『あくまでクジャクの話です。』のかなり珍しい読書体験です。
おすすめの作品を詳しく紹介
1.『iメンター すべては遺伝子に支配された』
まず紹介したいのは、『あくまでクジャクの話です。』と同じ小出もと貴が描く『iメンター すべては遺伝子に支配された』です。
舞台は、最新の遺伝子情報をもとに「iメンター」と呼ばれるシステムが人間へ人生の助言を与える近未来。才能、職業、結婚相手、さらには寿命まで、数字とデータによって「より正しい選択」が提示される社会が描かれます。
題材はラブコメからSFへ大きく変わりますが、両作品の根っこには驚くほど似た問いがあります。
それは、「人間の行動を科学で説明できるようになったとき、人間の自由はどこに残るのか」という問題です。
『あくまでクジャクの話です。』では、生物学から恋愛傾向を説明できます。しかし、説明されたからといって、その通りに恋をしなければならないわけではありません。
『iメンター』では、その問題がさらに極端な形になります。
もし遺伝子から「あなたにはこの仕事が向いている」「この人物と結婚するのが合理的だ」と高い精度で予測できるなら、人はそれに従うべきなのか。それとも、間違う可能性があっても自分で選ぶことに意味があるのか。
数字が正確であればあるほど、反抗する側が非合理的に見えてしまう。その怖さがあります。
同じ作者だからこそ、『あくまでクジャクの話です。』では笑いへ変換されている「遺伝子と人間」という興味が、『iメンター』では社会制度や人間の尊厳まで拡張されています。
阿加埜の生物学トークを聞きながら、「でも人間って、本当にそんなに単純なのか?」と一度でも思った人には、かなりおすすめです。
2.『理系が恋に落ちたので証明してみた。』
「恋愛という曖昧なものを、理屈でどうにか説明してしまおう」という部分をもっと真正面から楽しみたいなら、山本アリフレッドの『理系が恋に落ちたので証明してみた。』です。
理系大学院生の氷室菖蒲が、同じ研究室の雪村心夜へ好意を告白するところから物語は始まります。
普通のラブコメなら、ここから「付き合うのか、付き合わないのか」が問題になります。
ところが二人が考えるのは、「そもそも好きとは何なのか。それを客観的に証明できるのか」です。
心拍数を測る。デートを実験として実行する。「好き」を構成する要素を考える。二人の恋愛は、研究対象へ変換されていきます。
『あくまでクジャクの話です。』の阿加埜が生物の行動を人間の恋愛へ持ち込むのに対し、『理系が恋に落ちたので証明してみた。』では、自分たち自身が実験動物のようになっていくのがおもしろいところです。
そして、どちらにも共通する最高の矛盾があります。
恋について誰より理屈っぽく考えているのに、その本人が一番恋に振り回されている。
計測値は出せても、嫉妬した理由はきれいな数式にならない。条件を揃えて最高のデートを設計しても、予想外の一言のほうが心を動かしてしまう。
理屈が感情に敗北するのではなく、理屈を使って必死に感情へ近づこうとする。その姿がだんだん愛おしく見えてきます。
『あくまでクジャクの話です。』で、生物学の説明そのものと、それを語っている人物の恋愛ポンコツぶりの両方を楽しんでいる人なら、かなり相性のいい作品です。
3.『亜人ちゃんは語りたい』
ペトスの『亜人ちゃんは語りたい』は、バンパイアやデュラハン、雪女など、「人間とは少しだけ違う性質」を持つ亜人たちと、高校の生物教師・高橋鉄男との交流を描いた作品です。
設定だけを見るとファンタジー寄りですが、『あくまでクジャクの話です。』と非常に近い部分があります。
それは、「生物学的な性質を知ること」と「その人を理解すること」を同じものにしないところです。
たとえば、ある亜人に特有の身体的性質がある。それを科学的に考察することはできます。しかし、その性質によって本人が日常生活で何に困り、周囲からどう見られ、それを本人がどう受け止めているのかは、直接話さなければ分かりません。
高橋は生物教師として亜人の身体へ強い興味を持っていますが、観察対象として扱うだけではなく、本人たちと会話しながら理解しようとします。
ここがとても大切です。
『あくまでクジャクの話です。』でも、人間を生物学の法則へ当てはめるだけなら話は簡単です。しかし実際には、同じ傾向を持つ人間でも人生経験や価値観は違います。
統計上の傾向と、目の前にいる一人の人間。
両方を見る必要があるという感覚が、二作品には共通しています。
また教師と生徒という距離の描き方にも共通点があります。年齢や立場が違うからこそ、親しさだけでは処理できない境界がある。
『あくまでクジャクの話です。』の知的な会話や学校という舞台が好きで、次はもう少し穏やかで温かい読後感の作品を読みたい人におすすめです。
4.『かぐや様は告らせたい』
赤坂アカの『かぐや様は告らせたい』には、生物学の解説は出てきません。
それでも『あくまでクジャクの話です。』好きへおすすめしたいのは、「賢い人間が恋愛を理屈で攻略しようとすると、なぜこんなに面倒くさくなるのか」を徹底的に描いているからです。
秀知院学園の生徒会長・白銀御行と副会長・四宮かぐや。互いに惹かれているにもかかわらず、二人は自分から告白するのではなく、「どうすれば相手から告白させられるか」を考え始めます。
そこから、日常の会話一つが心理戦になります。
相手がこの言葉を選んだ意図は何か。ここで誘えば自分が好意を持っていると悟られるのではないか。相手から誘わせるにはどう盤面を作るべきか。
本人たちの頭の中だけを見れば、国家間の外交交渉のようなことをしています。
しかし読者には最初から、「普通に好きと言えばいいのに」と分かっています。
この落差がおもしろい。
『あくまでクジャクの話です。』でも、恋愛について高度な説明が始まったかと思えば、当事者自身はその知識をきれいに使えません。
知性は恋愛を簡単にしてくれるどころか、ときには言い訳や防御壁を作る材料になります。
そして両作品とも、その防御が崩れた瞬間にラブコメとして一番おいしい場面がやってきます。
知識系ラブコメというより、「頭で考えすぎる人間の恋愛」が好きな人におすすめしたい作品です。

5.『ダーウィン事変』
最後は、うめざわしゅんの『ダーウィン事変』です。
ラブコメではなく、今回の5作品の中ではかなりシリアス。しかし『あくまでクジャクの話です。』の生物学パートそのものにおもしろさを感じる人には、ぜひ読んでほしい作品です。
主人公チャーリーは、半分ヒトで半分チンパンジーの「ヒューマンジー」。人間の両親のもとで育ち、高校へ通い始めた彼が、同級生のルーシーと関わりながら、差別や動物倫理、テロ、SNS上の炎上など、人間社会の問題へ巻き込まれていきます。
ここで問われるのは、「人間とは何なのか」です。
生物学的には、人間も動物の一種です。
しかし社会では、人間とそれ以外の動物の間に巨大な線を引いています。
では、その境界にチャーリーのような存在が現れたらどうなるのか。
知能を基準にするのか。遺伝子を基準にするのか。身体を基準にするのか。それとも、人間社会から認められた存在であることが重要なのか。
答えを一つ選ぶたび、別の矛盾が出てきます。
『あくまでクジャクの話です。』が「人間の恋愛も生物の行動として説明できるのでは?」という方向から人間を動物の側へ引き戻す作品だとすれば、『ダーウィン事変』はもっと大きな規模で「そもそも人間だけを特別扱いする根拠は何なのか」と問いかけます。
もちろん読後感はかなり違います。
こちらは笑って終わるというより、読んだあとに自分の中の常識へ疑問が残ります。
それでも、生物学を単なる知識としてではなく、人間を見るためのレンズとして使うという意味では、今回の中でも特に濃いつながりを持つ作品です。

まとめ
『あくまでクジャクの話です。』には、生物の生態を知る楽しさがあります。
でも、この作品がそれだけなら、ここまでラブコメとしておもしろくはならなかったと思います。
クジャクの羽がなぜ派手なのかは説明できる。
ある行動が進化の中でどんな意味を持ったのかも考えられる。
けれど、「自分がなぜこの一人を好きなのか」になると、話は急に難しくなる。
その瞬間、人間はデータから少しはみ出します。
今回紹介した『iメンター すべては遺伝子に支配された』は遺伝子と自由意志、『理系が恋に落ちたので証明してみた。』は恋愛の数値化、『亜人ちゃんは語りたい』は生物学的特徴と個人、『かぐや様は告らせたい』は知性と恋愛感情のズレ、『ダーウィン事変』は人間と動物の境界という、それぞれ違う方向から同じ問題へ近づいていきます。
人間はどこまで理屈で説明できるのか。
そして、説明できたとしても、それでその人のすべてを理解したことになるのか。
『あくまでクジャクの話です。』がおもしろいのは、その答えを難しい顔で講義するのではなく、恋愛で盛大に取り乱す人たちを眺めながら考えさせてくれるところです。
阿加埜の生物学トークを楽しみにページをめくっている人も、久慈とのどうにも理屈通りに進まない距離を楽しみにしている人も、今回の5作品ならそれぞれ別の角度から「人間って面倒くさい。でも、そこがおもしろい」という感覚を味わえると思います。

